やましんの日々見聞録
 
身近に感じた出来事を文字と写真で綴ります
 



平城宮と備後国分寺

平城遷都1300年祭:せんとくんも本番 主会場オープン
少し前ですが、奈良に行ってきたときの写真です。


まずはJR奈良駅でせんとくんがお出迎え。
人だかりの出来る人気ぶりで、観光客との記念写真に忙しくしてました。
デビュー当時は「キモい」だの「かわいくない」だのと好き放題言われてた彼ですが、今やすっかり奈良のマスコットキャラクターとして定着しています。
全国に数ある同様のキャラの中で、名前と顔がすぐに思い出せるのは、彼とひこにゃんと井原鉄道のいっちゃん・はっちゃんくらいのもんです。そういう意味ではせんとくんは大成功キャラでしょうね。


奈良公園を軽く散策したあとで、近鉄奈良駅から近鉄電車に乗って大和西大寺方面へ。
進行方向右手に見えるのは、ドラマ「大仏開眼」のセットとしても使われた大極殿。
このときはまだメーン会場は完成しておらず、人もまばら。この状態で広大な平城宮跡を歩いても仕方ないので、今回は電車の車内から眺めるだけ。


進行方向左手(右奥)には朱雀門。
どこだどこだと探しているうちに、あっという間に電車は進みます。
平城遷都1300年祭の期間中、平城宮跡の中に臨時駅を作ろうという話もありましたが、結局立ち消えになりました。

ところで、写真を見ても分かるように、近鉄奈良線は世界遺産でもある平城宮跡を突っ切っています。→地図
どういう経緯でここに鉄道が引かれたのかはよく分かりません。でも冷静に考えるとかなり大胆な話です。今まで何度も迂回あるいは地下化する話が出てきたようですが、迂回しようにも広大な平城宮を避けるのは見るからに困難で、地面を掘ろうにも古代の埋没文化財がゴロゴロ出てくるような場所ですから、そう簡単な話ではありません。(リニア線の計画ルートが奈良駅や奈良公園周辺を大きく外れてるのもそれが理由の一つだとか…)

私はこれを見ると地元近くにある史跡を思い出します。
福山市神辺町にある備後国分寺です。


備後国分寺(跡)、南門とクロマツの参道。
目の前を左右に横切るのは古代山陽道、斜めに横切るのは旧山陽道こと西国街道。
撮影場所は六差路になってます。
備後国分寺と近鉄奈良線がどう繋がるのか、下の図を見て下さい。


現在は参道や本堂・山門が残るだけですが、かつての備後国分寺は国分寺の名に恥じない立派な伽藍と広い寺域を持っていたことが近年の調査により明らかになっています。赤い枠内が当時の推定寺域です。


現存する備後国分寺山門。江戸時代の再建。
奈良平城京とも縁の深い聖武天皇の「国分寺建立の詔」により備後国分寺となったこの僧寺は、堂々川の氾濫や相継ぐ戦火によって幾度も壊滅的な被害を受けてきました。それでも国分寺に権威や力があれば何度でも再建されるはずですが、近世になると国分寺にはもう往時の権威も力も残っていなかったようで、伽藍の再建どころか備後国分寺の寺域内を斜めに横切る形で西国街道(近世山陽道)が整備されてしまいました。国分寺の威信が低下したことを示す象徴的な出来事と考えられます。

というわけで、これが平城京跡を横切る線路とかぶる訳です。もちろん両者の歩んだ歴史は全然違いますが…。
奈良時代に栄えた2つの史跡が似た境遇にあるというのは、ちょっと因縁めいたものを感じさせます。

奈良平城京と福岡大宰府を結ぶ古代山陽道。吉備真備公が奈良と九州・大宰府を何度も往復しましたが、この道を通ったわけです。

大仏開眼と吉備真備
ドラマ「大仏開眼」を見て

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4月30日(金)00:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 吉備真備 | 管理

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