やましんの日々見聞録
 
身近に感じた出来事を文字と写真で綴ります
 


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インド現れるところナンあり

…という言い伝えがあるかどうかは分かりませんが、福山に行ったらよく立ち寄るスパイス王国というインド料理屋があります。


外観


インド風に装飾された店内。インド人の店員さんが接客してます。
もちろん日本語も喋れるのでコミュニケーションの心配は要りません。


カレーナンセット(エビカレー)
平日のランチタイムなら720円でナンのおかわり1枚無料です。
この値段で腹一杯食べられます。


どうですか、このツヤ。
表面はパリっとほんのり甘く、中はもっちり。焼き立てのパンの美味しさです。
カレーも本場仕込み。日本のカレーはこれを真似てるんだなぁと実感できます。
日本のカレーより濃厚で美味しいです。


他にも種類はたくさんあります。これはスパイシーウインナーカレー。
ナンが運ばれたらなるべく急いで食べないと冷めると美味しさや食感が落ちてしまいます。


食後のデザートは「ラッシー」。
飲むヨーグルトのような感じですが、微妙に違います。
ランチタイムなら100円です。

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5月19日(水)21:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 福山・尾道 | 管理

福山ばら祭り

福山ばら祭りに行ってきました。


メーン会場でもある緑町公園の入口にて。
福山駅から会場へは臨時のシャトルバス(160円)が運行されてました。


思った以上の人手です。屋台も並んでます。
奥の建物はローズアリーナ。


子供向けのイベント。大勢の人が見物してます。
右にあるのは緑町公園のシンボル、六角形のバラ花壇。


子供向けの遊具。どこも長い行列。


井原鉄道のいっちゃん・はっちゃん
知る人ぞ知る地元のゆるキャラです。
中の人はいないようで、テントの前に仲良く佇んでました。


バラ花壇からメーンステージ
周囲を屋台が取り囲んでます。


ローズアリーナの中にあるばらコンテストの展示作品


緑町公園から200mほど離れたばら公園に移動。
ばら祭り期間中は周辺道路は交通規制されます。


バラのアーチ。緑町公園に比べるとばら公園はけっこう地味で、純粋に世界の珍しいバラを楽しむ公園っぽいです。


ちょっと気になった朱色のバラ。
遠くからだと周囲の赤いバラの中にあってオレンジ色に見えます。
ばら祭りは終わりましたが、園内のバラは当分楽しめます。

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5月16日(日)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 福山・尾道 | 管理

笠岡菅原神社のかきつばた


菅原神社のかきつばたが見頃ということで、さっそく見に行ってきました。


亀岩と


反対側から。
こちらからは綺麗な眼鏡橋に見えます。

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5月14日(金)20:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 笠岡 | 管理

平城宮と備後国分寺

平城遷都1300年祭:せんとくんも本番 主会場オープン
少し前ですが、奈良に行ってきたときの写真です。


まずはJR奈良駅でせんとくんがお出迎え。
人だかりの出来る人気ぶりで、観光客との記念写真に忙しくしてました。
デビュー当時は「キモい」だの「かわいくない」だのと好き放題言われてた彼ですが、今やすっかり奈良のマスコットキャラクターとして定着しています。
全国に数ある同様のキャラの中で、名前と顔がすぐに思い出せるのは、彼とひこにゃんと井原鉄道のいっちゃん・はっちゃんくらいのもんです。そういう意味ではせんとくんは大成功キャラでしょうね。


奈良公園を軽く散策したあとで、近鉄奈良駅から近鉄電車に乗って大和西大寺方面へ。
進行方向右手に見えるのは、ドラマ「大仏開眼」のセットとしても使われた大極殿。
このときはまだメーン会場は完成しておらず、人もまばら。この状態で広大な平城宮跡を歩いても仕方ないので、今回は電車の車内から眺めるだけ。


進行方向左手(右奥)には朱雀門。
どこだどこだと探しているうちに、あっという間に電車は進みます。
平城遷都1300年祭の期間中、平城宮跡の中に臨時駅を作ろうという話もありましたが、結局立ち消えになりました。

ところで、写真を見ても分かるように、近鉄奈良線は世界遺産でもある平城宮跡を突っ切っています。→地図
どういう経緯でここに鉄道が引かれたのかはよく分かりません。でも冷静に考えるとかなり大胆な話です。今まで何度も迂回あるいは地下化する話が出てきたようですが、迂回しようにも広大な平城宮を避けるのは見るからに困難で、地面を掘ろうにも古代の埋没文化財がゴロゴロ出てくるような場所ですから、そう簡単な話ではありません。(リニア線の計画ルートが奈良駅や奈良公園周辺を大きく外れてるのもそれが理由の一つだとか…)

私はこれを見ると地元近くにある史跡を思い出します。
福山市神辺町にある備後国分寺です。


備後国分寺(跡)、南門とクロマツの参道。
目の前を左右に横切るのは古代山陽道、斜めに横切るのは旧山陽道こと西国街道。
撮影場所は六差路になってます。
備後国分寺と近鉄奈良線がどう繋がるのか、下の図を見て下さい。


現在は参道や本堂・山門が残るだけですが、かつての備後国分寺は国分寺の名に恥じない立派な伽藍と広い寺域を持っていたことが近年の調査により明らかになっています。赤い枠内が当時の推定寺域です。


現存する備後国分寺山門。江戸時代の再建。
奈良平城京とも縁の深い聖武天皇の「国分寺建立の詔」により備後国分寺となったこの僧寺は、堂々川の氾濫や相継ぐ戦火によって幾度も壊滅的な被害を受けてきました。それでも国分寺に権威や力があれば何度でも再建されるはずですが、近世になると国分寺にはもう往時の権威も力も残っていなかったようで、伽藍の再建どころか備後国分寺の寺域内を斜めに横切る形で西国街道(近世山陽道)が整備されてしまいました。国分寺の威信が低下したことを示す象徴的な出来事と考えられます。

というわけで、これが平城京跡を横切る線路とかぶる訳です。もちろん両者の歩んだ歴史は全然違いますが…。
奈良時代に栄えた2つの史跡が似た境遇にあるというのは、ちょっと因縁めいたものを感じさせます。

奈良平城京と福岡大宰府を結ぶ古代山陽道。吉備真備公が奈良と九州・大宰府を何度も往復しましたが、この道を通ったわけです。

大仏開眼と吉備真備
ドラマ「大仏開眼」を見て

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4月30日(金)00:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 吉備真備 | 管理

ドラマ「大仏開眼」を見て

左 小田郡矢掛町 吉備真備公園に隣接する吉備大神宮
右 倉敷市真備町 倉敷市まきび公園に隣接する吉備寺

NHKのスタッフプログへトラックバックをしたこともあり、「大仏開眼と吉備真備」ページへのアクセス数は凄いものがありました。特に、ドラマ放送直後は1時間だけで300近いアクセスを記録しました。(普段は1日で10アクセスもないんですが…)

ドラマ「大仏開眼」、私なりの感想です。(あくまで吉備真備に注目した視点です)
前編は少し飛ばしすぎかなぁという印象。
固有名詞が次々と現れるので、誰が誰なのか把握しきれず少し混乱しました。
お約束的にあると思っていた吉備真備の生い立ちや、遣唐使に選ばれた経緯、出航シーン、唐での一切のシーンがなく、いきなり船内から帰国シーンだったのも予想外。
主演の吉岡秀隆さんのややぎこちなく見える演技(それが持ち味でもありますが)や、17年間も日本を離れてたのに"中国臭"をほとんど感じさせない会話など、このドラマ大丈夫なのかなぁ…と、ちょっと心配しました。

ドラマを面白く感じるようになってきたのは、誰が誰でどんな考え方を持った人物なのかが分かってきた頃でしょうか。
憎らしいけどキレ者の藤原仲麻呂、欲望むき出しの玄ぼう、あの聖武天皇に女帝孝謙、そして高僧行基…。単なる家族描写だと思っていた吉備真備の妹まで歴史に大きく関わっていたというのは、恥ずかしながら初めて知りました。冒頭の妹と再会するシーンも意味があったんですね。

特に印象的だったのは、唐から鑑真和上を伴っての2度目の生還を果たしたシーン。前編の吉備真備とは別人のような逞しい表情で、仲麻呂に食って掛かります。何度も死線を越えてきた男の信念は、もう揺るぎないものになっていました。
ここまで見ると、このドラマの吉備真備は吉岡さんの適役だと思うようになりました。
吉岡さん演じる前半の悩める吉備真備のイメージがあればこそ、ここからのシーンが一層映えるのです。

ドラマのほとんどは吉備真備の「耐えがたきを耐え…」という展開でしたが、最後についに己の封印を解きます。本場仕込みの兵法や、自身が唐から持ち帰った囲碁における戦術論に基づき、冷静に、いや冷徹に、仲麻呂を追い詰めていきます。軍事策士としての吉備真備の姿を垣間見るこのシーンは鳥肌モノ。

ちなみに「藤原仲麻呂の乱」時、吉備真備は実際は70歳でした。
(735年の遣唐使帰国以来30年も仲麻呂とやりあってたとは…)
本来は老年の吉備真備を演じる役者にバトンタッチすべきなんでしょうが、あくまで吉岡さんが演じます。どう見ても70歳には見えませんが、ここで役者が変わってしまうと、ドラマ最大の見せ場を攫われちゃいます。さすがにそれは気の毒ですから、ここは黙認してあげましょう。

で、そろそろ結論を書くと、予想した以上に面白かったです。吉備真備を知らない人でも十分に楽しめたんじゃないでしょうか。
弓削道鏡と女帝孝謙の関係など割愛されている箇所はあるものの、まずまず実史に基づいたストーリーだったのが良かったです。大仏建立の経緯、それぞれの思惑、吉備真備の関わりなど、文献を読む以上に理解できました。

でも計3時間では足らなかったですね。
仕方ないとはいえ、唐での阿部仲麻呂との絡みなど、ここをすっ飛ばすのはもったいない気がします。吉備公が大いに影響を受けたであろう鑑真和上との絡みも見たかったですし、筑前守・肥前守時代の話も興味があります。
この先、いよいよ本領を発揮し右大臣にまで上り詰めていく過程も割愛され、「さあここから吉備真備のターン」というところで大団円となってしまいました。吉備真備ファンとしては、右大臣としての誇らしい姿を一目見たかったんですが…。


今回のドラマは「吉備真備 大仏開眼編」ということですね。
吉備真備については、まだまだ知るべきことの多い人物です。今後も吉備公を取り上げたドラマや歴史番組が放送されることを大いに期待したいです。


琴弾岩(ことびきいわ)
吉備公が右大臣の任を解かれたのは771年3月、齢76歳のこと。
その後775年の10月2日、81歳でこの世を去ったと伝えられる。
生涯のほとんどを国と民衆のために尽くした吉備公が、晩年故郷(現真備町)に帰り、小田川沿いにあるこの岩に座り、名月の晩に静かに琴を弾いたという言い伝があります。
毎年中秋の名月の晩には、吉備公を偲んでこの岩の上で琴と尺八による演奏会が行われます。
晩年の吉備公は、星空の下、この小さな岩の上で何を思ったのでしょうか。

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4月20日(火)00:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 吉備真備 | 管理


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